若い頃『この仕事は私に向いているのかな?』と考えることがありました。
- 客商売は苦手
- 手先は不器用
- 事務仕事苦手
- 営業職大苦手
- 他の人との協調性なし
ありゃ~、『出来る仕事ないじゃん(・_・、) 』ってすごく悩みました。
今思えば、よくこんな人間がここまで生きてこられたなと・・・。
塾という仕事は好きでしたが
生徒の皆さんと過ごす時間はとても楽しかったので、塾という仕事は好きでした。
しかーし!
塾とはいえ『一企業』ですから、他の社員や上司とコミュニケーションを取らなければなりません。
しかーし!
私は『お酒も飲めない』ので、他の社員と触れ合うこともあまり多くありませんでした。ですから勤めていた塾でも『ひとり浮いた存在』でした。
それでもなんとか周りに人と合わせようと努力はしたのですが、やはり全然合いませんでした。
ですから『塾という仕事』は好きでも、『会社組織』の人間としては全然ダメでした。
オマケに塾という仕事は『大変なブラック企業』でした。朝五時には家を出て、帰宅すれば夜中の2時3時でしたし。なんか『人間をやっているような気がしない』のでした。
そしてついに『このままじゃ死んじゃう』と思って、命からがら勤め先から逃げてきました。その時は『もう2度と塾なんかで働かない』と決めてたんですけどね。
私に向いてる仕事は何なのだろう?
結局私は1年間就職浪人をしてしまいました。・・浪人と言うよりは『廃人』のような生活でした。35歳の時のことです。
その時父親が
『幸い父ちゃんまだ元気だから、贅沢はさせてあげられないけどご飯くらいは食べさせてあげられるから、焦らないでもう1度ゆっくり人生を見つめ直しなさい』
と言ってくれました。私は今でも父のこの言葉を思い出すと涙が出てきます。
35歳ともなると、どの企業でも『未経験者』なんか雇ってくれません。『私に出来る仕事』もありません。なにせ『塾』しかやったことがなかったし。
誰も雇ってくれないなら自分でやろう!
次第に私の気持ちは『それならば自分の塾を作ろう!』という方向に傾き始めました。
しかーし!
母親は大反対! まだ『公務員になれ』とか『農協に勤めろ』とか非現実的なこと言います。35歳になって公務員なんかなれるはずないのに。
しかーし!
ますます私の腹は決まってきました。
絶対に自分の塾を作る!
私が本気で塾を作ろうとしていたら、あれほど反対していた母親が『それなら母ちゃんも手伝う!』と言ってくれました。
塾を作ろうと思ったのが3月。その年の10月にKOSHIN学院がOPENしました。あれから27年です。
『初めて自分の塾』を持ったときに『初めて自分の生徒が来てくれた時』のあの感動は今でも忘れられません。
それから色々なことがあったけど、今日まで『一生懸命突っ走って』きました。この27年で多くの生徒や保護者の皆様と知り合いました。
これこそが『私の財産の全て』です。
OPEN当時小学生だった子も、今ではアラフォーの立派な社会人です。卒業生の子どもが塾に通ってくれるようになりました。
自分で言うのも変ですが『本当にここまでよくやってきたな!』って思うのです。
しかーし!
『今でもやっぱり生徒が可愛い』のです。私より半世紀も後に生まれた子達と今日もこうして楽しく仕事ができる喜びがあります。
私は『塾という仕事』には向いてなかったけど『KOSHIN学院』という仕事には本当に向いていたのだと思います。
KOSHIN学院も今月(10月)15日で『27年目』を迎えました。
それでは今日はこの辺で! また明日♪